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ちょっと、面白くないことがあってムシャクシャしていた。集中力に欠けているのが分かったので、競馬の勉強の前にDVDでも観て気分転換でもすっか!と思ってDVDを借りに!
いやぁ、面白かった! カーズ! シマコス店主が号泣するのも分かる!実際俺もやられた 思い通りにいかないから勉強できることがあるんだよね。近道だけが近道じゃないんだよな!そうだろ?マックイーン? 感化されやすい俺は早速ヤフオクでこのシリーズのミニカーを入札!結局、落札できたのは メーカーだけだった。 PR |
親戚の葬儀やら何やらでブログをお休みしていました。
俺が32歳のとき父親は他界していますが、有難い事に300人弱の方にご会葬いただきました。 時間が許す限り、ご会葬いただいた方には礼を尽くしたいと思っています。 今回は母方の叔父さんのお悔やみでした。 俺の母親は葛飾産まれの奥戸(マイナーですいません。でも帝釈天も矢切の渡しも近いんです)育ち。葛飾と言えば柴又、帝釈天!と亀有公園前派出所!ですが・・昭和40年代前半は下町なんてもんじゃありませんでした。田舎でしたね。 俺自身は、越谷産まれの越谷育ちで親父の生家から歩いて数秒のところで生活していました。夏休みの帰省は東京なんです。田舎に行った=東京に行ったってことです。 母親の生家は当時まだ萱葺屋根の家で、庭には井戸がありました。夜寝るときは蚊帳がつられていて俺にとっては本当の田舎でした。因みに親父の実家の風呂は五右衛門風呂で風呂の上に簀が浮いていて、入るときはその簀を沈めないと入れないような風呂でした。また、トイレが外にあって夜に便所に行きたくなってもトイレに行くのが恐くて朝まで我慢したこともありましたね。 |
昨日は友人の勉強会に参加させていただきましt。
楽しかったです。何が? 楽しさを表現するのは難しいですね。 でも、ピタゴラスイッチ♪ http://www.youtube.com/watch?v=vpzmRZOhAn4 |
近所に・・と言うほどでもないが、車で10分ほどの通勤途中に
巨大なショッピングセンターができた。 とてつもなく広くてデカイ! 道の反対側は 浦和美園駅と埼玉スタジアム2002がドデンと構えている。 そのショッピングセンターの中に雑貨屋を見つけた。 ちなみに、俺は雑貨が大好きだ。くだらないと人に言われようがそのものに自分なりの価値観があれば、無性に欲しくなる。最近では猪木の目覚まし時計や…これ以上は云えない で、その雑貨屋に |
俺の家には代々犬を飼っている。犬のいない生活は物足りない。
もちろん、犬にも寿命はあるので、何度と無く悲しみもあったが新しい犬との出会いが悲しみを埋めてくれていた。 高校時代。野球部だった俺は1年の夏からレギュラーを獲れた。初戦は前年の秋の大会でBest16に入ったシード校だった。結果、勝利した。その試合で4打数3安打打点2の活躍をした俺は、翌日の地方紙(S玉新聞)に取り上げられた。たかがか、地方大会の1回戦だったが、地方紙に取り上げられた事によって母校では担任を含めた各学科の先生から激励をもらった。また、両親にも喜んでもらった。 その当時も勿論、犬を飼っていた。我家では初めて飼った黒毛だった。ポッチャリした風貌も合わせて、「ブック」という名を付けた。俺は「ブー」と呼んでいた。 ブーは俺が野球をしている事は知らない。勿論、活躍していようがいまいが知った事ではない。彼にとっては散歩に連れて行ってくれたり、食事を与えてくれたりする俺に興味があるだけだ。 次の試合で惜敗した。俺は3打数無安打だった。1試合目で喜んでくれていた方々は来年頑張れといってくれた人もいたが、大抵の人は何事も無かったかのようだった。 家に帰ると、3打数無安打の俺にもいつものように散歩をねだる「ブー」が尻尾を振って出迎えてくれた。 1ヶ月ほど前、「H幸!!」という大声で起こされた。お袋が俺の部屋に入ってきて俺宛の封書を持ってきていた。よくありがちな、投資関係の会社からのどうって事の無いものだった。 「いらない、捨てといて」と言って再び寝ようとした。 「違うよ!ほら、このあて先見て御覧!!」そこには ○○○○株式会社 △△ □□□ U竹H幸 様」と書かれてあった。だからどうした!と思ったが、 「あんた、△△ □□□になったの?」と興奮気味に話すお袋。△や□に入る文字は、俺の会社での役職だ。「いつから?」「何で言わなかったの?」「E美子ちゃんは知ってるの?」と立て続けにまくし立てた。 息子の社会的な地位が向上した事が嬉しいらしい。俺にしてみればどうでもよいことなので云わなかったのが良くなかったのか?だからといって、俺の選手が遠征に選ばれたり、中学記録や高校記録を樹立したときには喜んでくれていなかった。俺にしてみればそれよりは重要な事ではないので報告する必要は無いと思っていた。 俺は「言わなかったっけ?ごめん、ごめん」と謝った。母親の喜んでいることに変わりは無い。喜んでくれる母親には感謝しなくてはいけない。 |
今日はジャパンオープンに参加してきました。
結果はもう皆さんご存知ですね。日水連のHPから飛んでください。 弱小teamは例えどんなレベルになっても辰巳やちばこくでレースがあれば通いです。今回参加した選手は中坊ですが4月から高校生になります。もし、出場する所属が、B高校になっていても練習はAAMで行っていますので勘違いされないで下さい。高校の所属で出場すれば選手がよりレースに集中できる環境になるからそちらから出場させていただきます。 話は変わりますが、俺は車の運転が嫌いです。一つの動作や作業に集中する事がいたってストレスになるからです。 例えば、Rest room に行くにしても新聞か、DSか、携帯を持っていきます。踏ん張る事に集中するのは・・今日のアップの時もアップを見るだけでは・・オーロラビジョンのTVを見ながら・・ってもう一人いましたが…夜の飲酒も、PCを開いてブログをチェックしたり、記事を書いたり、メニューを考えたりと淡々と呑んでいるだけだと・・眠っているときだって熟睡したりイビキをかいたり寝言を言ったりして、お前は寝ているときも煩いと云われて少し嬉しかったりして・・この記事を書いていてもイヤホンでBEGINを聞いていたりしているわけです。 故に、運転に集中する事など不可能です! しかし、辰巳に向かうには「小菅(堀切)ジャンクション(JCT)」を通過しなくてはなりません。流石にあそこは運転に集中せんとどえらい事になります。 最近はやっと慣れてきましたが、免許取立ての頃はクラクションやパッシングをかなり食らいました。 19才で免許を取りましたから、かれこれ13~4年前になるんですねぇ・・光陰屁の如しとは良く言ったものですね… |
今週が明けてから咳が止まらずイマイチ体調が優れなかった。
【ウグイスの 声に聞こえた ヨーイハイ!】 と詠われた俺の声も本来のものではなかった。 そして昨日早朝、自分の咳で眼が覚めた。同時に体の振るえと悪寒。体温を測ってみると・・・ 38.7℃! やはり、根っからの水泳コーチ数字には弱い。こんな大きな数字を見たのは久し振りなので、医者に向かった。 医者で測ったときには39℃だった。鼻に綿棒のようなものを突っ込みインフルエンザの反応を見たがどうやらそれではなかったようだ。「よし、これで週末の短水路には行けるな!」と思った。 医者から薬をもらい、家で布団に包まった。その段階では薬を飲むと言う行為すら面倒だった。 2時間ほど横になって少し食事をし、 10の錠剤と2袋の粉薬を飲んで布団へ・・・ 2時間ほど寝たのであろうか、凄い寝汗をかいた気持ちが悪いので着替えたほどだ。 それから1時間ほど汗は止まらない。熱を測ってみると、37.5℃まで熱が下がっていた。時に15時40分。練習の時間に間に合う。俺は着替えてプールに向かった。 鮫が初めて出場する大人の大会。所詮中坊、レースの3日前にコーチがいないわけにはいかない。 今から、前日アップに出発! |
「つもり」をヤフーの検索にかけ辞書で引いてみた。
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昨日はJO最終予選。
AAMからは6名、12種目にエントリーという結果になった。 「エッ!AAMはそんなもんなんですか?」と言われた。 そんなもんだ。結果が全てだ返す言葉が無い。 今シーズンの反省は山ほどあるが、まだシーズンは終わってはいない! |
落語家の三遊亭円楽師匠が引退を発表した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070226-00000046-nks-ent 前にも述べたが、俺は落語が好きだ。円楽師匠の噺は上手いと思っている。花王名人劇場で聞いた「薮入り」では泣いてしまった。笑点の司会者で有名だが、稀代の噺家であると評価してうたがわない。落語が芸術だと気付かせてくれた噺家のひとりである。 引退の理由のひとつに「2割5分や3割ではダメ。10割じゃないと・・・」と言ったそうですが、俺も担当している選手を100%強くさせる自信がなければプールサイドには立たない。その自信があれば選手の欲求を100%満足させられると自惚れているだけかもしれないが・・・「恥はかきたくない」とは円楽師匠の引き際の決定的な言葉だ。師匠のプライドだけの話ではないであろう。 水泳コーチの場合、自分が恥をかくという事は選手に恥をかかせる事になる。 円熟味をましたコーチングはまだまだこの先に待っているはずだ。コーチングもまた芸術だと思ってもらえるには俺はまだまだ未熟だ。円楽師匠が現役を退いた74才までにはかくありたいものだ。 |
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