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【2017/09/24 03:18 】 |
すこし・・間が開きましたね・・・
親戚の葬儀やら何やらでブログをお休みしていました。

俺が32歳のとき父親は他界していますが、有難い事に300人弱の方にご会葬いただきました。
時間が許す限り、ご会葬いただいた方には礼を尽くしたいと思っています。
今回は母方の叔父さんのお悔やみでした。

俺の母親は葛飾産まれの奥戸(マイナーですいません。でも帝釈天も矢切の渡しも近いんです)育ち。葛飾と言えば柴又、帝釈天!と亀有公園前派出所!ですが・・昭和40年代前半は下町なんてもんじゃありませんでした。田舎でしたね。

俺自身は、越谷産まれの越谷育ちで親父の生家から歩いて数秒のところで生活していました。夏休みの帰省は東京なんです。田舎に行った=東京に行ったってことです。

母親の生家は当時まだ萱葺屋根の家で、庭には井戸がありました。夜寝るときは蚊帳がつられていて俺にとっては本当の田舎でした。因みに親父の実家の風呂は五右衛門風呂で風呂の上に簀が浮いていて、入るときはその簀を沈めないと入れないような風呂でした。また、トイレが外にあって夜に便所に行きたくなってもトイレに行くのが恐くて朝まで我慢したこともありましたね。

俺の母親はそういった環境で育ってきたわけです。バリバリの江戸っ子(神田ばかりが江戸っ子じゃないですよ)です。東京の言葉をして標準語と言うらしいのですが、俺に言わせればチャンチャラ可笑しな話です。
江戸っ子は「ひ」と「し」の区別がつきません。母親は未だに俺の事を「ひろゆき」とは言いません。「しろゆき」です。勿論、母親がそうですから母方のおじちゃんやおばあちゃん、叔父さん、叔母さんは言うに及びません。まして、俺の名前を勘違いして「弘 Hiroshi」や「博 Hiroshi」や「宏 Hiroshi」と覚えている方が多いようで(実際小学校の頃のお年玉袋にはそういった名前が書いてあった)「しろし」と呼ばれることが殆どでした。

こんな事がありました。小学校低学年の頃、奥戸に行って近所の駄菓子屋にいこうとすると、おばあちゃんが「しろし、最近この辺も車が多いから気をつけるんだよ。あの店の前の道もしろくなったから危ないよ!」
俺は「しろい道???」これ以上は説明の必要はありませんね。

母方の親戚の方とはお悔やみでお会いする事しかなくなりました。久し振りにセカンドネーム
「しろし」と呼ばれ、懐かしさがこみ上げてきました。
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【2007/03/15 22:26 】 | Life | 有り難いご意見(0) | トラックバック(0)
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